31『魔導の眼』
その者、澄みし碧眼の持ち主。その瞳に掛かれば全ての魔導を見切ること易し。 その者にとって魔力の流れは水の流れ、火の揺らめきと同じ事。 魔導を用いてそれを再現したらば、その魔法はいとも易く現れる。 だが、その眼は魔性なり。 主の魔力を枯れ果てるまで喰い続け、尽きれば命をも削りはじめる。 魔力持たずして、その眼を持ちし者不幸なるかな、その命儚し。 優れた魔導の技と共にその眼を持つ幸運なる者、この世にいと稀なり。 〜スタンリー=ベイツ『“魔導眼”の研究』より〜 伏兵的なルーキーであるリク=エールとカーエス=ルジュリスが闘うと聞いて、決闘場の中にはもう空いている席がないくらいに混雑していた。 両方とも、優勝候補を倒した者同士、そして何よりも、十五年前伝説的な名勝負を繰り広げたファルガール=カーンとカルク=ジーマンの弟子同士の対決だ。 今までで一番話題性に富む決闘だった。 「どちらが勝つと思います?」と、尋ねながら偶然空いていたカルクの隣の席に座ったのは昼食を終えたクリン=クランだ。 「カーエス、と言いたいところだがそれではひいき目になるな。どちらが勝つにしろ、楽には終わるまい」 「そうですか? 私はリク君が絶対勝つと思いますよ」 「ほう、その根拠は?」 「僕が彼に負けたからです」 一瞬間が空き、カルクは決闘場からクリン=クランに視線を移して尋ねた。 「本気を出してもか?」 「《双龍の顎》まで使いました。そして、それでもまだ彼は実力を発揮してはいなかった」 その言葉の後半部分に、カルクは目を見開く。 「実力を発揮しなかった? どういう事だ?」 「レベル5以上の魔法を使わなかったんです。どんなに窮地に陥ってもね」 魔法は威力や効果の大きさに応じて1から7までのレベルに分類されている。無論レベルが大きい魔法ほど扱うのが難しく、威力、効果は大きい。また、レベルに反比例して使える魔導士の数も減っていく。 しかし、この大会では思い上がった雑魚以外はみなレベル7の魔法をいくつか使えるくらいの魔導士はざらにいるはず、そしてファルガールが太鼓判を押すリクがレベル7の魔法を使えないわけがない。 (それを優勝候補のクリン=クラン相手にも使わなかった? あるいは使えないのか? ファルガールよ、お前は弟子をどのように育てたのだ……?) ***************************** 第三決闘場のバトルフィールドはオアシスである。 浅く窪んだバトルフィールドの真ん中には澄んだ水がたまっており、その周りにはリクが砂漠に入って久しく見なかった木が生えている。 二人はバトルフィールドの真ん中で膝まで水につけて向かい合っていた。 カーエスはさっきリクに話し掛けて来た時と変わらない、鬼気迫る表情でリクを睨み付けている。 リクはそれを黙って困惑したような表情で見つめていた。 (何考えてるんだコイツ……?) 態度からして、カーエスは間違いなくフィラレスに対し好意を寄せている。勿論深い意味で、だ。 そのフィラレスの緊迫した今の状況をカーエスは知らない訳がない。それを差し置いてでも彼はリクと一刻も早く闘おうとしているのである。しかしリクにはどうしてもカーエスがそんなに好戦的な性格とは思えなかった。 リクはカーエスにそれとは別の違和感を覚えていた。それはカーエスが眼鏡を掛けていないからだと気付くのにそう時間は掛からなかった。 「なあ、眼鏡はどうしたんだ?」 「いらん、元々目は悪うないんや」 素っ気無くそう答える。カーエスはいつも通りの方言だった。しかしいつものひょうきんさはなく、それ故かえって凄みさえ感じる。 「来えへんのか? なら……」と、カーエスは身を深く沈め、「こっちから行くでっ!」と続けて、手を水にかざした。 「留まりし水よ、流れを持ちて突然なる《鉄砲水》となれ!」 カーエスの足元の水が盛り上がったかと思うと、突然リクに向かう激流と化した。 リクは《飛躍》を唱えてそれを避けるが、それを見てカーエスはにやりと笑った。 「風を集めて凝らせし《風玉》よ、触れし者全てを吹き飛ばせ!」 まるで周りの空気が集まるように風がカーエスに向かって吹き、その手の中に見た目にも風が凝縮したと分かる玉を形作った。 そしてそれを空中で体勢を変えられないリクに向けて放出する。 「《瞬く鎧》によりて、この一…」 「我見たり、汝が《魔導の乱れ》!」 必死で張ろうとした障壁をも、カーエスは魔法で封じてしまう。そして《風玉》は避ける事も防ぐ事もされずにリクに直撃した。 当たった瞬間、精々人頭大だった《風玉》が一つの竜巻きのようになってリクを文字どおり吹き飛ばした。 「棘持ちし蔦は伸びて絡みて《茨の網》に!」 リクの後方にあった二本の木から茨のように鋭い棘を持つ蔦が伸びて、それから成る網を編み上げた。 そこに《風玉》で吹き飛ばされたリクが捕まった。 吹き飛ばされた事で生み出された勢いは容赦なくリクを棘に押し付ける。 「……っ!」 激痛に、リクは思わず目を瞑り、声にならぬ悲鳴をあげる。 カーエスはそんなリクの姿がまるで目に入っていないかのように、間髪入れず次の魔法の詠唱に入った。 「燃え立ち上がれ、《火柱》!」 リクの足元に赤い円が描かれ、直後に火柱と成って燃え上がる。背中に燃えやすい植物があるだけあって、その炎の勢いは凄まじい者だった。 背中を傷付けられ、その上に焼かれ、リクはその場に膝を付いた。 かろうじて、顔を上げると、リクは信じられない光景を目にした。 オアシスの水がカーエスの元に退いていっている。そして退いて面積が減った分、高さが増している。 「水よ、波立て! 波よ、立ち上がりてより大きな《津波》となれ! 《津波》よ、汝が巻き込みしもの全てを洗い流せ!」 大きな津波がリクを襲う。当然リクは逃れる手立てもなくその波に飲み込まれ、何がなんだか分からなくなった。その一瞬の後、後頭部を何かで打ち、波が退いてリクは膝を付く。 見るとカーエスがなんだか遠くに感じられる。何となく後ろを見ると後ろはすぐ壁だった。さっき頭を打ったのはこれだったらしい。 「め、滅茶苦茶強いじゃないですか、カーエス君。デュラスの時はあんなに地味だったのに」と、下のバトルフィールドで繰り広げられる光景にクリン=クランは感嘆の息を付く。 「デュラス戦は完勝だったから、余力はまだ残っていた」 カルクの言葉に、クリン=クランはごくりと息を飲んだ。 「彼もまた優勝候補相手に本領を発揮していなかったと言う事か……」 バトルフィールドの恥まで飛ばされたリクは、痛む身体を何とか動かして立ち上がった。 そして、まだ真ん中の泉の中に陣取っているカーエスを見据える。カーエスもまた彼空目を放しておらず、二人の視線が交錯する。 (目が覚めたぜ……あの野郎、普段ホニャララしてやがるってのに) 魔法はただ強いものをたくさん使えばいいというものではない。 いくらレベル7の魔法をたくさん使えるからといっても、レベル1の魔法しか使えない魔導士に負ける事は多分にあり得る事なのだ。その点についてはレベル4以下の魔法だけでジェシカやクリン=クランを下しているリク自身がよい例である。 魔法は戦略、直前に使った魔法の影響、環境、詠唱速度を考えたタイミング、全てのものを考慮に入れて使わなければならない。 カーエスの場合、それら全てがきちんと出来ていた。 最初の《鉄砲水》はリクを空中に逃がし、次の《風玉》を確実に当てる為の伏線。その《風玉》で吹き飛ばしたリクにダメージを与える《茨の網》を唱える絶妙のタイミング。燃えやすい植物系の《茨の網》を利用し、威力を相乗させた《火柱》。小技を重ねて体勢が崩れたところを狙ったレベル7の大技《津波》。 そしてほとんどの魔法がこのオアシスのバトルフィールドを構成する水、木、風、そして熱気を利用したものだ。 だが、ここで驚くべき事は彼の《瞬く鎧》を封じた《魔導の乱れ》を唱えるタイミングも完璧だった事だ。 以前、《瞬く鎧》は使うタイミングが難しいと述べたが、それは防ぐタイミングも同様の事で、その場合更にタイミングは難しくなる。魔力の動きが目に見えていない限り、これを防ぐのは少し無理があるはずだった。 (こうして考えててもしょーがねー。今度はこっちから仕掛けていくか) リクはあちこち痛む身体を無理矢理動かして身体をほぐすと、カーエスと視線を合わせたまま彼に向かってゆっくりと歩きはじめた。 ざっざっざ、という彼の砂を踏む音が、全員が息を飲んで見守っているお陰ですっかり静かになってしまった決闘場に響く。 そしてリクは泉の傍に着き、泉に一歩足を踏み出そうとした瞬間、カーエスが動いた。 「留まりし水よ、流れを持ちて突然なる……」 「我は叩かん、衝撃が凍結を生む《氷の鎚》にて!」 リクは、その手に現れた白い光を放つ鎚の形をした魔力を泉の水面に叩き付けた。 すると泉はリクの詠唱した通り、広がる波紋の後からどんどん凍り付き、半分水に漬かっているカーエスの足めがけてどんどん進行していく。そして、同時に彼が足元の水を利用して詠唱しようとした《鉄砲水》をも抑える形となった。 このままでは足元が凍って身動きがとれなくなってしまうので、彼はギリギリのところでジャンプして既に凍っているところに着地しようとした。 そこを狙ってリクは《炎の矢》を放つ。 「我は放たん、射られし者を炎に包む《炎の矢》を!」 うなりを上げて赤く光を放つ魔力の矢がカーエスに向かって一直線に飛ぶ。 「我は放たん、射られし者を炎に包む《炎の矢》を!」 胸の前に構えた手に弓矢を象る炎が現れ、それを引き絞って放つ。 その矢はリクのものよりいびつで規模も小さかったが、リクの放ったものを打ち消し、爆風のみにするにはそれで十分だった。 リクは内心驚きつつも攻撃の手を休めない。 「我は投げん、その刃に風巻く《風の戦輪》を!」 「我は投げん、その刃に風巻く《風の戦輪》を!」 これもさっきの《炎の矢》と同じく、規模は少し小さいがリクの《風の戦輪》とぶつかりあって相殺する。 更にリクは続けた。 「我は突かん、槍穂に裁きを宿す《雷の槍》にて!」 「我は突かん、槍穂に裁きを宿す《雷の槍》にて!」 これも相打ちだ。 二人の距離はどんどん縮まり、ついに短距離戦となる。 「「我は叩かん、衝撃が凍結を生む《氷の鎚》にて!」」 最後は二人の声が重なって、同時に魔法が発動した。 しかし短距離の魔導のぶつかり合いだった所為か、やはり若干威力の小さかったカーエスが氷の上を勢いで後方に滑って行く。 そして中距離での向かい合いとなった。 「……まさか今日だけで俺とファルだけしか知らねーハズの魔法に二度もお目に掛かれるとは思わなかったぜ。お前はクリン=クランからでも習ったのか? それ」 リクの問いかけに、カーエスはリクを睨み付けたまま答えた。 「阿呆抜かすなっ! 俺が何でカルク先生以外からもの習わなあかんねん!」 「それじゃ、カルクが?」 「それも違う。強いて言うなら、あんたから習うた。いや、見習うたんやな」 謎めいたカーエスの言動にリクは当惑した。 (俺が…魔法を…教えた?) そしてその当惑を満足げに見つめるカーエスの瞳に青白い光が点っているのに気が付いた。たしか、前に見た彼の目の色は黒だったはずである。しかし今は明るい碧眼で、その色は澄んでおり、何でも見透かされそうな印象さえ受ける。 (眼鏡で色を誤魔化していた?) しかしその理由は分からない。そもそも、何故彼は目が悪く無いのに眼鏡を掛けていたのだろうか。 その時不意に、いつか魔導士として知識を深めるにあたってファルガールがリクに読ませた本に書かれていた事を思い出した。 その者、澄みし碧眼の持ち主。その瞳に掛かれば全ての魔導を見切ること易し。 「まさか……!」 「アレは“魔導眼”!?」 「ほう、よく気が付いたな」と、クリン=クランの驚きをよそにカルクは素っ気無く感心してみせた。 「信じられない……。まさか“魔導眼”を持ってる魔導士が本当にいたなんて……」 「私も最初は同じ気持ちだった」 “魔導眼”。その目は遺伝とは何ら関係なく、稀に発現する目の事だ。明るく澄んだ青色をしており、魔力を肉眼で認識できるという特性を持つ。 つまり、人が魔法を使う時に魔力がどう動くかもはっきりと目に見る事が出来るのだ。この能力を駆使すれば、同じように魔力を動かして魔法をコピーする事もできるという訳だ。 「カーエス君がいつも掛けていた眼鏡は“魔導眼”を他人から隠す為だったんですね」 「それもある。相手には実力を低く見られていた方がいいからな」 「それもある、とは?」と、そのカルクの物言いにひっかかりを感じたクリン=クランは反射的に聞き返した。 「“魔導眼”はああやって能力を使っている間、ずっとカーエスの魔力を削っていっている。それはほんの微量だが、毎日毎日魔力を削り取って行く。カーエスは以前、それが続いた時にとうとう魔力が尽きて死にかけた事があった。それ以来、普段は魔法研究所の作ってくれた眼鏡で“魔導眼”の能力を封じている」 「へぇ、それは初耳です。便利そうだから私も欲しいと思っていたのに……。良い事ずくめのものってなかなか無いもんですね」 クリン=クランの言葉にカルクは一つ頷いて付け加えた。 「魔導士としての資質を持たずに“魔導眼”を持って生まれた子は魔力の代わりに体力、精神力、全ての力を奪われて死んでしまう。だから、“魔導眼”が発現する確率の数字は意外と大きいが、実際に持ってる人間を見かける事は無い。 しかしカーエスの場合、眼鏡を掛けてしっかり魔力を温存しておけば、こうした一時的な闘いには何ら支障は生まれない」 “魔導眼”を持つ者が魔導士としての素養をも兼ね備えているとは限らない。只でさえまともな魔導士になれる素質を持っている者はほんの一握りだと言うのに、それに加えて“魔導眼”を持つ人間はひとつまみといった確率である。 両方を兼ね備え、しかも魔導士としての素質、センスに恵まれた人間が現れる確率は限り無くゼロに近いといえる。 その僅かな確率が形になった魔導士、それがカーエス=ルジュリスなのだ。 |
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